2014-02-21
第33回■虎の尾を踏む女 Ⅰ
93年の夏を彩った“俺たちのグレート・ジャーニー〜日本縦断テレクラの旅”には後日談があった。私達が帰京した数週間後、“相棒”と福岡のドラマのプロローグを演じた28歳のOLから、彼へ連絡があったのだ。用件は、自動車事故を起こし、修理代が必要になったから10万円を送って欲しいというものだった。
事故そのものの真偽も怪しいし、自動車事故なら保険で対応できるはず。しかし、彼は迷うことなく、振り込んでしまった。もちろん、貸して欲しいといわれたのだが、一度口座へ入金されたら、お金は彼女のもの。相棒にしたら、怪しいという思いより、彼女の窮状を救いたいという気持ちが勝ったのだろう。いまの振込め詐欺のようなものだ。振り込んだ後、彼女から連絡はなかった。
援助交際が頻繁に行われ、テレクラが売春や買春の温床としてマスコミをにぎわすようになるのはもう少し後だが、既にテレクラには男と女の騙し合い、金銭のやりとりが横行していたのだ。そんな中から“事件”も起き始めた。テレクラで男をホテルに呼び出し、その男の恥ずかしい写真を取り、それを元に脅したり、女に呼び出された男がその彼氏やご主人に金銭を脅し取られるという“テレクラ美人局”などが、数年後、出てきたのだ。
テレクラは、単純に男と女の出会いのドラマを演出する“装置”ではなくなってきていた。テレクラの終わりの始まり、荒廃寸前のような状況だったのだ。
時期が前後するが、そんな事件に私も巻き込まれたことがあった。相棒のことを甘いやつだと笑えない。その契機となる女(後に逮捕されるので、敢えて女と表記させていただく)との出会いは同じく、93年の夏のことだった。
事件
テレクラは、学校や会社、家庭などを越え、本来であれば出会う環境になかった男女の出会いを演出することがある。それがテレクラの魅力でもある。スチュワーデスやモデル、ホステス、タレントなど、当時は高嶺の花といわれる業種の女性と出会ったこともあった。アイドルの誰々と話したなど、いわゆる都市伝説のようなものもあったが、テレクラ仲間が武勇伝を誇らしげに語ることもあった。そもそもテレクラは、男女とも虚言癖を持つ、詐欺師の溜まり場のようなところだが、まんざら、嘘でもなさそうなこともあったのだ。
その電話を取ったのは、渋谷道玄坂の店だったと思う。スチュワーデス(いまではキャビンアテンダントという名になったが、スッチーとしておこう)などの“上客”は、新宿や五反田ではぶち当たらない。意外なところで、蒲田、船橋辺りに生息しているという都市伝説があったが、実際はどうだろう。いずれにしろ、そんな女を引き当てたのは渋谷だった。20代後半で、日本の航空会社の国際線に乗っているという。フライトを終え、日本に戻ってきたばかり。彼女の口から出るのは、華麗なる交友関係だ。誰もが知るようなタレントやスポーツ選手の名前が次々と出てきて、そんな話を延々と聞かされた。辛抱強く聞き手に徹する。その女は独壇場と感じで喋りまくった。おそらく、フライト明け(!?)の躁状態で、気分がハイになっているのだろう。話は止むことはない。
聞き役ならお手の物。そのうち、私のことを、本当に話しやすく、親しみがわく人だと言ってくれた。仕事上、話しやすい雰囲気を作るのは任せておけだ。私自身も、コピーライターなどと称して、適当に業界臭さを演出したことも奏功したのだろう。こいつとつきあっていれば得かもしれないという、スチュワーデスのすけべ心も刺激したのかもしれない。
結局、話は盛り上がったが、アポには至らず。ただ、電話番号を教えて欲しいといわれ、番号の交換だけはした。まだ携帯の時代ではなく、家電であった。もちろん個人用で、留守電もついていた。それから思い出したように暇つぶしで電話がかかって来るようになった。
テレビ局のプロデューサーや代理店の重役との会食など、華やかな近況報告を聞かされる中で、彼女には“お兄ちゃん”と呼ぶ仲のいい野球選手がいることを知った。特に名前はいわなかったが、関西の球団にいて、東京へ遠征に来るたびに宿舎まで遊びに行くという。その時は話半分で聞き流していた。
そんなやり取りが続き、半ばアポ取りは諦めていた頃、いきなり、「いま、お兄ちゃんが家に来ているから遊びに来ないか」と誘いの電話があったのだ。最初に電話を取ってから数か月後。既に秋ではあったが、まだ夏の暑さが残る夕方の時間帯だった。
指定された地下鉄の駅を降り、そこから歩いて数分のところに、その女のマンションはあった。バブルの影響か、華美な装飾を施されたその外観は、パパが愛人に買い与えそうな物件、といったところである。
マンションのインターフォンを押すと、彼女が出た。オートロックの玄関が開く。エレベーターに乗って、彼女の住む部屋の前まで行ってインターフォンを押すと、女が現れた。
自宅なので、普段着っぽい恰好だったが、化粧だけは忘れず、少し華美と感じるような水商売っぽい雰囲気を纏っていた。年齢も30歳は超えているように見える。だからといって老けているわけではなく、いわゆる妙齢の女盛りであることに変わらない。華麗なる交流も頷けるところだ。予め、彼女からは、仕事上の知り合いということにしておいてくれと言われていた。
彼女に導かれ居間に入ると、二人の男性がいた。そのうち一人に、なんとなく見覚えがあった。当時の私はすでに興味をはなくしていたが、元々は野球少年。後楽園球場(東京ドームになる前!)に巨人戦なども見に行ったことがある。そんな私でさえ、顔を見てすぐにわかる、関西の人気球団のスター選手だった。“お兄ちゃん”とは、その男性のことらしい。
テレクラで知りあった女性の部屋に、著名人と一緒にいる。現実離れしたシチエ―ションというか、予想だにしないことで、なかなか、目の前の光景が頭の中で整理ができないでいた。そのスター選手は、そんな私を気遣って、気さくに声をかけてくれる。食事をしていないなら、寿司でも取ろうかとも言ってくれた。
私は適当に挨拶を交わし、その申し入れを受け入れ、寿司を頼んでもらうことにした。球界を代表するスーパースターは自ら電話をかけ、特上を4人前頼んでくれた。
そして、もう一人の男性。彼女によれば某菓子メーカーの御曹司らしい。しかし、正妻ではなく、妾の子のため、表に出ることはなく、役職も重役では会ったが社長や副社長ではなかった。曰くありげな話だが、その彼も変に卑屈になることなく、物腰もやわらかい。ただ、ふとした瞬間に影みたいなものが見え隠れするのは、妾の子という境遇ゆえか。
いままで話半分に聞いてきたその女の華麗なる交友録もまんざら嘘ではなさそうだ。何よりも私の目の前に、誰もが知る野球選手がいる。嘘ではない、現実だ。テレクラはもともと思いもかけない出会いを演出するものだが、まさか、有名野球選手に遭遇するなど、誰が予想できるだろうか。アイドルやタレントとの出会いではないが、テレクラ都市伝説を目の当たりにした瞬間だ。
その女と野球選手、御曹司、そして、私は寿司をつまみながら談笑した。しかし、話題をどう振っていいかわからず、なんとなくその場しのぎの言葉を紡いでいく。そんな空気を察してか、その女はテレビをビデオに切り替え、画面ではアクションものの洋画が始まった。
映画そのものは見たか見てないか覚えていないが、エンドタイトルを目で追っていたことだけは覚えている。記憶とは不思議なものだ。
話が途切れると気まずいのか、その女はカラオケをしようと言い出した。彼女の家にはカラオケがあったのだ。家庭用のレーザーディスクのカラオケだったと思うが、普通の家にあるものではない。
その女が歌ったのは高橋真梨子の歌だった。「桃色吐息」と「はがゆい唇」。多分、他にも歌ったとはずだがその2曲しか思い出せない。異常にうまく、妙に彼女の雰囲気に合っていたのがいまでも印象に残っている。ちょっとしたリサイタル気分で、気持ちよさそうに歌っていた。
なんだかんだで、11時近くになってしまった。特に乱交パーティ(!?)など、何かが起こるわけではなく、私は帰るように促された。こうして、その女と有名野球選手、菓子メーカーの御曹司という、まったく縁もゆかりもない、本来であれば接点も持ちようもない人たちとの数時間が過ぎていったのである。
ありえない組み合わせ、出会い。その後、彼らとは会うことはなかったが、話がこれで終わりなら、テレクラが生んだ“真夏(もう秋になっていたが)の夜の夢”というところだろう。ところが、事態は意外な展開をすることになる。この出会いにも“後日談”があったのだ。
その顛末は、次回、語ることにしよう。私自身が事件や事故に巻き込まれることはないと思っていたが、危機は確かに、“いまそこにあ”ったのだ……。