2012-12-18
第24回■すべての人の心へ花を〜うちなー時間とてーげー女
松山のテレクラ、店名などは、まったく覚えてないし、早取り制か、取り次ぎ制かも忘れたが、確かにビジネスホテルのすぐそばにあったことだけは記憶している。全国展開のチェーン店などではなく、地場の店だった。いずれにしろ、こじんまりとしたところで、10名も入ればいっぱいになる。
どんな流れでアポを取ったかわからないが、公衆コールで、これから飲みに行こうというものだった。歌舞伎町であれば、すわ、キャッチと危険信号が灯るが、南国ムードに浮かれていたのか、すぐに待ち合わせをして、会うことにする。
待ち合わせ場所はテレクラの側のビジネスホテルの前。公衆コールなので、すぐにやって来た。現れたのは、いかにも沖縄の女性という感じの目が大きく、彫が深い、南洋風。ゴーギャンの描く絵の中にいそうな雰囲気(当然、容貌がではなく、雰囲気や佇まいがである)。20代で、“フリーター”(フリーターという言葉そのものは、既に91年には一般化していた)だ。
その女性は明るい笑顔で迎えてくれ、腕を組んで、松山の街を進む――といってもこちらは不案内。ぼったくりの危険も感じないわけでもないが、なんとなく、大丈夫そうな感じなので、彼女に従い、行きつけという店に行くことにする。もっともスナックやクラブではなく、大衆的な居酒屋で、沖縄料理と泡盛(古酒)が美味しいというところである。どうみてもぼったくりとは無関係そうだ。
多分、その店で初めて豆腐ようやスクガラスを食べたと思う。その女性は、流石、「うちなんちゅ」らしく、泡盛をかなりの勢いで飲んだ。次から次からという感じだ。私はといえば、泡盛に口をつけただけで、古酒は撤収して、すぐにオリオンビールに変えた。
どんな話をしたかは相変わらずよく覚えていないが、沖縄の観光地としての魅力みたいなものを教えてくれたような気がする。沖縄土産で有名な「ちんすこう」を熱く語ったのが記憶に残っている。私自身、「サーターアンダギー」は好きだが、どうしても、ちんすこうは好きになれないが、さすがにうちなんちゅの前で沖縄銘菓の悪口はいえない(笑)。
怒涛の飲みは続く。沖縄の飲みは長いとは聞いていたが、まだ、序の口である。スタートが遅かったとはいえ、既に3時を過ぎているというのにだ。ここで、河岸を変えることになる。今度は、その女性の知り合いのスナック。知り合いの店というと、前述通り、歌舞伎町ならば、ぼったくり防止のため身構えるものだが、ある程度、話し込んだことで、キャッチ・ガールなどではないことは把握していた。安心して、ついていくことにする。
沖縄のスナックで毛遊び(もうあしび)
居酒屋からすぐ、裏通りを少し入ったところに、そのスナックはあった。予想に反して、妙に新しく、小奇麗な店だった。カウンターとテーブルが数組という小さな店だったが、スナック特有の猥雑さとは無縁である。内装も全体にスカイブルーに統一され、海や空のイメージが溢れている。もう20年以上前だが、不思議なことにそこだけは覚えていた。
その女性は相変わらずのピッチで古酒をやり、私は超薄い水割りでごまかす(!?)。流石に、彼女も少し酔ったらしく、かなり色っぽくなり、しな垂れかかり、親密度(密着度!)も一気に増していく。いい感じではある。松山のスナックで、「毛遊び(もうあしび)」が始まろうとしている。
「毛遊び(もうあしび)」とは、かつて沖縄で広く行われていた習慣で、主に夕刻から深夜にかけて、若い男女が野原や海辺に集って食事や酒を共にし、歌舞音曲を中心として交流した集会のことをいう。沖縄版の元祖“出会い系”といっていいだろう。そんなおおらかで、ゆるやかな風習があることを知っていた。当然だが、なんだか、いけそうな気もしてくる(笑)。
時間が経てば経つほど、いけそうな感じは増大していく。そんな“いけそう感”が頂点に達したのは「花〜すべての人の心に花を〜」を歌った時だった。何故か、彼女から私が喜納昌吉に似ていると言われたのだ。喜納昌吉といえば、いうまでもなく沖縄の巨星である。いわれて悪い気はしないが、当時の喜納は野性児&ヒッピーのような風貌をしていたので、少し複雑ではある(笑)。そんな流れから、カラオケタイムに突入。勿論、カラオケボックスなどではない。スナック特有のミニステージに上げられる。歌うのは、当然、喜納昌吉&チャンプルーズしかない。かの「花〜すべての人の心に花を〜」である。我ながら、見事な歌い上げぶりと自画自賛したくらいの熱唱だった。泣きなさい、笑いなさい…というリフレインは、本当に心へしみる。歌っている自分さえもジンときてしまう。その魅惑の歌声に、彼女が官能しないわけはない。
沖縄で、それも見ず知らずの女性と、しかも初めての店で、「花」を歌うなど、ある意味、シュールである。いったい、何をやっているのかという気にはなるが、サービス精神旺盛な私のこと、女性が喜ぶことなら厭いはしないのだ。
いうまでもなく、「花〜すべての人の心に花を〜」は名曲だ。浄化されるなどというと、それとは対極にある行為をしているのにおかしなものだが、心が洗われる、聖なる心も芽生えてくるというもの。勿論、女性を取って食おうというのではない。自らの心の奥底にあるもの(欲望か!)を形にしようとしているだけだ。誰も傷つけもしないし、騙そうとしているのでもない。
歌い終わると、店内では拍手が鳴りやまず、その女性もうっとりとしている(というのは、体のいい記憶のすり替えか!?)。
そんなこんなで、スナックでゆるりとした時を過ごしていたが、気づくと、既に時刻は5時を過ぎていた。東京であれば、始発に合わせ、閉店となるが、沖縄には電車が走っていないせいか、始発時間はない(バスならあるか?)。そんなわけで、5時を過ぎても、店はやっていた。流石、沖縄飲みである。飲みにかける時間が半端ではないのだ。
その頃には、完全にいい雰囲気が出来上がり、その女性からは、私の泊まっているホテルへ行きたいと言われる。これは、いけるというもの。彼女からは性的なオーラが立ち上る。しな垂れ度数がさらに増す。
まさに、いけそうなところで、私の律儀な性格が災い(!?)となる。宿泊しているホテルは当然の如く、仕事先が取ったもの。そして、同じフロアにはクルーも投宿している。鉢合わせ以前に、仕事で取った部屋を遊びで使うことに抵抗があったのだ。何か、人の金で遊ぶ、他人の褌で相撲を取るという感じだろうか。職業意識みたいなものではないが、内と外、日常と非日常の棲み分けは、ちゃんとしたいところ。
そんなわけで、私が泊まっているホテルではなく、近くのラブホテルへ行くことを提案するが、彼女は首を縦に振らない。どこに違いがあるかわからないが、ラブホテルではなく、リゾートホテルではなければ駄目だった。
私としては、宿泊先へ連れ込むことを拒否しながら、なんとか、迂回処置を講じようとするが、彼女も頑なで、了解を得ることが出来ない。押し問答ではないが、言葉や表現を変え、何度か、試みてみる。簡単にいけると思っていたら、意外なことに長期戦になる。
ところどころで、いけそうな気配を感じつつも、物事は進展していかない。同時に夜は明け、陽は上る。既に早朝というには遅い、朝になっている。多分、7時にはなっていただろう。流石、沖縄である、前述通り、そのスナックは閉店する気配はない。沖縄の飲みは、本当に長い(涙)。
朝になって
彼女と、どれくらい一緒にいて、どれだけ酒を飲んだか、正確なところはわからないが、そろそろ時間切れである。仕事の時間も迫っているし、仕事に備え、多少なりとも仮眠をとらなければならないのだ。
残念ながら、店を後にして、ホテルへと戻る。幸いなことに、そのスナックの料金は長時間いたわりには格安で、懸念していたぼったくりでもなかった。やはり、南国の女性は優しい。彼女からは家の電話番号を聞いたが、結局、電話することはなかった。多分、既に、次のことを考えていたのだろう。
ちなみに、1時間ほどの仮眠後、何もなかったようにクルーと合流し、普通に仕事をこなしたことはいうまでもない。やはり、偉いぞ俺!だ。
本土とは異なる沖縄の“うちなー時間”と、おおらかで、のんびりとした沖縄の“てーげー女性”に翻弄された夜(から朝)である。この沖縄の夜のことは、いまでも忘れられない。多分、テレクラの「旅打ち」に目覚めたのは、こんな“洗礼”があったからだろう。勿論、沖縄では、後日、ちゃんと雪辱もしているのだ。失敗は成功のもとである。
土地、土地にテレクラあり、その土地、その土地に出会いあり――この連載でも機会があれば、全国行脚(!?)の模様なども小出しにできればと思っている。ストリートからロードへ。テレクラ遊びの全国展開やー!