2011-09-12

第12回 鵜呑みにしているように思われたかもしれないけれど……──佐藤高峰さん(22歳・男性・勤務歴2ヶ月)

佐藤くんは、福島県郡山市で生まれ育つ(現在22歳)。高校ではサッカー部の主将。県代表として全国大会にも出場した経験をもつ。都内の私立大学進学とともに上京し、現在、テレビ某キー局のグループ会社で通販の番組をつくる会社に就職して2ヶ月(研修中)。番組制作部に配属が決定している。
佐藤くんは考える。就職して2ヶ月だけれど、仕事とはなにか、いまの段階で考えていることを率直に伝えてくれた。
われわれと話をすることもすごく楽しみにしてくれていたとのこと。こちらにもちょくちょく質問をなげかけてくれる。あとからはっきりする佐藤くんのキーワード、「素直さ」がそうさせているようにも思える。
*2011年6月2日(水) 18時〜インタヴュー実施。

「斜陽産業と言われてますけど(笑)」

佐藤くんは通販の番組制作会社に勤めている。お給料は残業代を入れて月24万。現在は家賃7万円の1Kに一人暮らしをしている。携帯はスマホ(月約8000円)。まずは、佐藤くんが働く業界でもあるメディア業界全体の話から。そこから佐藤くんの読書経験に話は進んでいく。

石川 お仕事は?

佐藤 テレビ局の子会社で通販の番組を作っている会社です。今年の4月に入社したまだ研修期間の新米ですけど(笑)。研修は8月まであります。

沢辺 すごいね。何ヶ月も研修させる金があるなんて。研修プログラムだって講師に相当なお金を払っているはずだよ。

佐藤 そんなきっちりした研修ではなくてOJT(オンザジョブトレーニング)なんです。先輩にくっついて各部署転々としています。

沢辺 ところで、なんでいまごろテレビ局なの?

佐藤 斜陽産業と言われてますけど(苦笑)。もともとテレビ志望でした。

沢辺 これから死にゆく産業じゃない?

石川 出版もそうですかね?

沢辺 そうそう(笑)。でも、テレビのほうが足が速い、と言われているよ。どうなるかわからないけど。でも、それでもやっぱりテレビのブランド力は残るんじゃないかな。twitterだってテレビに出てる人がフォローされるわけで。ほんとにゲリラ的な活動から売れていくのはごく少数だと思うよ。

石川 もし、大手のメディアが廃れてきたら、ほんとにブログやtwitterだけで売れていく人も出てくるんですかね?

沢辺 おれはそうは思わないよ。そういう人も増えていくとは思うけど、やっぱり、ブランドの力は大きいと思うよ。

佐藤 ソーシャルメディアだけで売れて行く、というのはどれぐらい先の、10年、20年先とかの話ですかね?

沢辺 いまもすでにはじまっているとは思うんだ。ブログで影響力があってそこからメジャーになっていく人もいるとは思うけれど、それでもやはり、全体がそうなるということはないんじゃないかな。

石川 よく、純粋にいいものだけ交換すれば、ブランドとは関係なしにいいものが流通する、という話がありますけど。

沢辺 テレビはブランドだけというわけじゃなくて、なにがよいか悪いかの淘汰をちゃんと行っている。そういうことだと思うよ。売れてる人はその淘汰をくぐりぬけてきた人だと思うんだ。もちろん、歌が下手っぴでも、「テレビに出てます」というブランド力だけでやってる歌手もいると思うよ。けれども、淘汰をくぐりぬけた人が、そこにテレビのブランドが加わって売れることが加速していく。そういうパターンのほうが多いはずじゃないかな。だから、ブランドには本質的に内実があるんだと思うんだよ。

石川 けれど、そのテレビがいま先細りになっちゃってるんですよね?

沢辺 オレなんかテレビを見たり本を読む時間が最近は減ってるんだ。寝ながらiPad見て、twitterで面白そうなサイトのことが書いてあると、ついついそこ見ちゃって。

佐藤 やっぱり、人は新しいものが好きなんじゃないですか? テレビだとライブで国会中継もあるじゃないですか。新聞だとテレビに比べればどうしても遅れてしまいますよね。twitter も情報が速いから、それに人は惹きつけられるんだと思います。

沢辺 でも、新しいから、ってわけじゃないと思うんだ。たとえば、新聞はこれから「新しい情報を提供する」という役割はなくなるかもしれないけれど、網羅性はあると思うんだ。佐藤くんは新聞は読まない?

佐藤 就活のときは読んでましたけど、いまはもう読まないです。

沢辺 ニュースサイトとかは見る?

佐藤 ほんとに浅い情報しかないですけど、会社に出てきてて、ヤフーニュースを10分ぐらい見るぐらいですね。それから、帰ってきて夜の11時ぐらいからはじまるテレビのニュースを見ます。

石川 本は?

佐藤 本は読みますね。

沢辺 どんなジャンル?

佐藤 最近読んだジャンルでは、小説だと伊藤計劃さんのものとか。あと、最近は、古本屋で『もしドラ』を買って読んでいるところです。すごくミーハー的ですけど、ドラッカーという人に興味があって(笑)。あと、最近読み直しているのは、姜尚中さんの『悩む力』です。この本で、自分の考え方が変わったんで。

石川 けっこう悩んだり、考えたりする人なんだ。

佐藤 そうですね。

沢辺 ちょっとインテリにあこがれがあるオレみたいなやつは「ドラッカー」とか聞くとついついバカにしたりする。思想だとか哲学だとかに価値があって、「役に立つ本」っていうのはバカにした態度をとっちゃう。そういう実用書を読んでいても人には言えない。

佐藤 その感覚、ぼくもありますね。こっぱずかしいというか。最近気になる本があって、『入社一年目の教科書』というのがそうなんですけど、それを人前で読むのははずかしいです。人前でハウツー本を読んで、いかにも「勉強してます!」みたいに思われたりとかはいやなんです。でも、興味があるから読んじゃうんですよね(笑)。

「もうまさに、働きはじめてから、改めて、他者からの承認ということについて考えるんです」

話は佐藤くんの読書の話から、ドラッカーを経て、「他者からの承認」へ。佐藤くんは、姜尚中『悩む力』から、「承認」というキーワードを手に入れ、自分のあり方を考える。

沢辺 オレはドラッカーは衝撃体験だったよ。最初は、会社をどう動かしたらいいか、というハウツー話ばっかりだと思ったんだよ。でも、ちがうんだよ。さっきのテレビの話と似ているけれど、やっぱり売れることにはそれなりの根拠があるんだろうな。かなり大切なことを言っている。たとえば、ドラッカーは市場経済主義者なんだけど、ただ、オレらの若い頃のように、資本主義か社会主義か、市場経済か計画経済か、どちらが絶対か、という枠で話をしていない。

佐藤 社会主義的な考え方は最近見直されてないですか?

沢辺 それは、社会主義のなかにもなにかいいアイデアがあるんじゃないか、という注目のされ方だと思うよ。オレたちの場合は、どっちが正しいか、ガチンコだったんだよ。それで、ドラッカーは、市場経済主義者なんだけど、独占はまずいよ、とか、複雑になった社会を円滑に進めるには企業という組織を使う以外にない、とか、けっこうまともなんだよ。「バリバリ儲けましょう」じゃないんだよ。
それから、『経営とはなにか』なんかを読んでみると、これはオレの読みがまちがいなければ、ドラッカーの言いたいことは、野球部の部員をどうやる気にさせるか、じゃなく、「それぞれの人間の幸福」なんだよ。流れ作業自身はそれだけではつまらないよ。だけど、自分たちがネジをしめることが社会にいくら貢献しているか。それを示すことが重要だと言うんだよ。実際に飛行機を工場にもってきて、自分たちのまわしたネジがどういうふうに役だっているかを見せたり、ユーザーに「こういうところがいいんだ」と話してもらうことが大切だ、と言うんだよ。
いまだって、実際は、仕事の九割ってネジをまわしているだけみたいなことだったりする。その作業自体はつまんないかもしれない。けれど、仕事ができるのは、最後に物として完成したり、反応が返ってくるよろこび。つまり、「他者からの承認」ですよ。

佐藤 ぼくも「他者からの承認」って、ずっと気になっているんですけど、それはどういうことなのか聞きたいです。

石川 簡単に言えばこうなんだ。人間はなんで生きているのか? 単にものを食って生きてるんじゃなくて、いちばんのよろこびは他者から認められることだ。そういうことなんだ。

佐藤 もうまさに、働きはじめてから、改めて、他者からの承認ということについて考えるんです。さっき言った姜尚中さんの『悩む力』という本のなかで、「働くことは他人から認められることだ」というのがあるんです。人から認められるとうれしいし、人がいないと生きていけないんだな、と。自分がなんで働くのか、それは他者からの承認だと思っているんです。それを実際にいま沢辺さんの口から聞いて、なんか感動したというか。

石川 そうか、いままで本のなかでだけ聞いた言葉だったんだ。

佐藤 そうなんです。大学2年生のときにすごい悩んでいたんですよ。大学1年生のとき、チャラいフットサルのサークルに入ったんです。楽しいことは楽しかったんです。けれど、「なんも得ていることはないな」というように思ったんです。
それで、2年生になって、ニュージーランドに三ヶ月半留学をしたんです。それがきっかけで一回自分をリセットしようと思って。二十歳にもなったし、自分がなんでいるんだろう?とか、どういうふうに考えて生きたらいいんだ?と考えるようになったんです。
そんなときに、姜尚中さんの『悩む力』を読んで気持ちが一回リセットされたというか。人から認められることが生きる意味なんじゃないか、と思ったことがあったんですね。

石川 悩んだときに承認という言葉が入ってきたんだよね。

沢辺 それがピカーンと自分のなかに落ちたわけでしょ。そういうことあるよ。もちろん、今日明日生きていける条件、経済条件も大切だと思うんだけど、根本的には承認だよね、という話だと思うんだ。

「でも、ぼくはツッパって、『あっちに行くんだから、日本人としゃべるのはやめよう!』と決めて」

佐藤くんにとって、大学時代の大きな転機はニュージーランド留学。そこで、佐藤くんはいろいろ考えた。

石川 佐藤くんの悩みの中身でちょっと気になったんだけど、「チャラい」というのはどういうこと?

佐藤 遊びのサークルだったんですよ。ただ、「楽しけりゃいいじゃん」みたいな感じの。

石川 そこで悩んじゃったわけだ。どんな悩みだったの?

佐藤 ぼくは高校までずっとサッカーやってたんですよ。全国大会も出ました。それで、ぼくは主将をやっていて、PKをぼくがはずして負けてしまったんです。負けて、オレはもうサッカーだめだな、と。
それで、大学に入ったら今までやったことないことをいろいろやろう、と思うようになりました。バイトも今までやったことなかったので、やってみようとか、海外に行って英語をしゃべってみたい、とか。そういう漠然とした思いがあって、大学の学部も入学してから自分の専攻を決められるような学部に入りました。
最初は楽しかったんです。バイトもやって、お酒も覚えたし、遊びも楽しかったんです。でも、いろいろやっているうちに、「これでいいかな?」というのがすぐに湧き上がってきたんです。そのときに、ニュージーランドに行ける、という大学のプログラムがあったんで海外に出たんです。海外に出ると一人の時間があるじゃないですか。だから、考える時間もいっぱいあって、それでまた悩んじゃったんですけど。そこで考えて、日本に帰って、今までのサークルも遊びも一度断ち切りました。

石川 あれ? ちょっと関係ないかもしれないけれど、一人の時間といっても、大学のプログラムの留学は学校の仲間とみんなでわーっと行くんじゃない?

佐藤 そうです。でも、ぼくはツッパって、「あっちに行くんだから、日本人としゃべるのはやめよう!」と決めて。それで孤独になって。あんまり日本人とつるむんじゃなくて現地の人とつるもうと思ったんですけど、それもなかなかうまくいかなくて。そのときに、じつは、そこの学校の先生とあるきっかけでつきあうことになったんですよ(笑)。
その方は、ニュージーランド人だったんですけど、イギリス人と日本のハーフだったんです。それで、話し相手もできて。その人は、けっこう面白い人だったんです。その人が、「一人でニュージーランドの南島を一周してみたら?」とすすめてくれて。それで一週間ぐらい南島を旅行したことがあったんです。そこでは日本では見られないような未踏の地、というか自然があって。「地球ってすげぇんだな」と思ったんです。そんなこんなのニュージーランド旅行でした(笑)。

石川 えっ、交際していた人とはどうなっちゃったの?

佐藤 最初から、お互いさっぱりした関係だったんで、ぼくの帰国と同時に終わりました。でも、いろんなことを教わったんでいい経験になりました。

石川 二人は英語で会話してたの?

佐藤 英語と日本語、彼女は片言の日本語ですね。まあ、三ヶ月半だったんで英語はぜんぜん上手くなりませんでしたけど、英語を話す機会はありました。

石川 話は佐藤くんが大学行ってからやろうと思っていたことに戻るけど、なんで海外なのかな? 大学1年生とかって「海外に行ってみたいです」って言う子が多いんだよ。あれはなんでなのかな?

佐藤 「英語を話すのはかっこいい」というのと、あとは、「グローバル化」ってのがあったじゃないですか、それで「英語とかしゃべれねぇと社会人になって活躍できねぇんじゃねぇか」というのがあって。その二つでなんとなく「海外行きてぇ」と思ってましたね。それまでほんとにサッカーしかやってこなかったんで。

石川 じゃあ、高校はサッカー推薦で入ったの?

佐藤 いや、高校受験は失敗したんですよ。でも、たまたま入った高校でキャプテンに任命されて、それで、ぼくたちの年にはじめて福島県で初優勝を果たしたんです。

石川 福島県出身なんだ。

佐藤 じつは震災のときは地元にいたんです。車に乗ってたんですけどそれでもぐらぐら揺れて。

沢辺 いま大変なとこだよ。

佐藤 いまでも室内干しは当たり前ですし、車の窓も閉めきってます。最初はほんとにびっくりしましたね。福島の実家では水は止まるし、コンビニにも物がまったくないのに、東京に戻ってきたら、みんな普通に暮らしていたのもびっくりしました。漠然と「危機感がちがうな」と思いましたね。

「オレは絶対こうなる! ではなく、そのつど目標は見つけていくのがいいと思うんですね」

どんなふうに育てられたか。佐藤くんの家族について聞いてみた。そこから佐藤くんの目標について話は進んでいく。佐藤くんはもともとドキュメンタリーを撮りたかった。けれども今は、通販の番組を作る会社で働いている。そんな佐藤くんが、いまの仕事をどう受け止め、どう向き合っているのかを話してくれた。

石川 ご両親はどんな仕事をしていますか?

佐藤 おやじは小学校の先生です。51歳です。

石川 お母さんは?

佐藤 母親は今はパートです。51歳です。前は生命保険で働いていて。父と母は地元の商業高校の同級生です。父は東京の大学に行って、そのあと福島に戻って母と結婚しました。

石川 お父さんは先生ということだけれど、教育熱心な家庭でしたか?

佐藤 いえ、父は体育系で。土日は山に連れて行ってくれたり、「勉強やれ!」とは言われなかったですね。怒られた経験といえば、テストを見せて、点数で怒られるんじゃなくて、「お前、こんな字書いてんじゃねえ!」と字がきたないことを怒られたことですかね。

石川 たとえば、「お前のやりたいことはやるように」とか、どんなふうに育てられましたか?

佐藤 ぼくのやりたいことは全力で応援してくれましたね。サッカーにしろ、大学でのニュージーランド留学にしろそうですね。親からも援助をいただきました。

石川 どれくらいかかるの?

佐藤 60万円ですね。それから大学の学費のほうは親父とお袋が全部出してくれましたね。奨学金ももらってたんですけど。

石川 佐藤くんの大学時代の仕送りは?

佐藤 ぼくは大学時代は月に6万円もらっていました。大学卒業するまでは面倒みてやる、というありがたい話で。あとは、時給900円のフィットネスクラブのインストラクターのバイトを週3回ぐらいやってました。それで、家賃と光熱費を払って、あとは、飲み会代に使ったり、服を買ったりして。遊ぶ金はありましたね。旅行が好きなんで、一人でタイやベトナムへ行ったり、卒業旅行と銘打って一人でイタリアに行ったりした、そのお金を貯めたりしましたね。

石川 ご兄弟は?

佐藤 三つ上の25歳の兄貴がいます。脚本家をめざして、今はフリーターをしています。

石川 佐藤くんもなにかそういう夢を持って生きてきたの?

佐藤 夢は持ってないかもしれませんね。目標は持ってきましたけど。もちろん、小学校の頃は、「あれになりたい」、「これになりたい」というのはありましたけど。就活の頃は、テレビ業界を目指してたんですけど、ぼくは、「ドキュメンタリーをつくりたい」という目標はあったんですよ。そういう目標を持って活動していました。その目標がきっかけになって、いまの通販番組を作る会社に出会った感じですね。商業的な番組を作る会社ですけど、人が良かったんですね(笑)。「こんな人になりてぇな」と思う人が会社にいたことが決め手です。

石川 ドキュメンタリーを撮りたい、というのはけっこう限定された目標だと思うけど、ドキュメンタリーを撮りたいと思ったきっかけは? 好きな作品とかあるの?

佐藤 きっかけは、高校のとき、ぼくがPKをはずして負けた試合を撮ってくれたドキュメンタリー番組なんです。負けたあとでそのロッカールームを映すという作品ですけど、それがぼくをメインで撮ってくれたんですよ。その作品に胸を打たれて感動したんです。
それで、その番組を見た人からメールが来たりしたんです。だからメチャクチャ感動して。まあ、認められる、じゃないですけど、「オレやってきてよかった」みたいな部分があったんです。で、「こういう感動を伝える作り手に今度はなれば絶対面白い、濃厚な人生が送れるんじゃないかな」とそのときは思ったんですね。もともと好きなんですよ、ドキュメンタリーが。
けれども、就活していくうちに「生半可なものじゃないな」とわかっていき、いろんな人に出会って、やりたいことも変わっていって、ドキュメンタリーを作っていくという志向はいまのところはないです。

石川 つまり、通販の制作会社に入ったけど、「なんだよ通販かよ」という気持ちはないと?

佐藤 それはありませんね。いまの会社を受けた段階で、「この会社、おもしれぇ!」という気持ちがあったんで。これだったら、ドキュメンタリーじゃなくても楽しめるんじゃないかな、と。それで、かっこいい先輩がいたんですよ。スゲーいい先輩がいて、「先輩のようになりたいな」と思うから、ドキュメンタリーを作るっていうよりも、先輩のような人になりたいという気持ちが強いです。それから、通販には通販のおもしろみがあると思うので、いまは、「ドキュメンタリーを絶対やる!」という気持ちはありませんね。

石川 絶対コレ! なんじゃないんだね。「先輩いるじゃん、それでいいじゃん」。そんな感じで受け取っていいのかな? もちろん軽い意味ではなくて。

佐藤 そうですね。そういう感じでいいです。オレも昔は「コレしかやんねぇ!」という感じだったんですけど、なんだろう、凝り固まった考えってだめなんじゃないか、と歳を重ねるごとに思うようになってきて。柳の木じゃないですけど、やわらく生きていけばいいんじゃないかと。オレは絶対こうなる! ではなく、そのつど目標は見つけていくのがいいと思うんですね。具体的にこうなるという目標はなく目先の目標でやる感じです。

石川 佐藤くんは、「こうなったけど、まあ、ここでもいいことあるしな」とけっこう自然な肯定感があっていいな、と思うんだ。

佐藤 オレ自身はずっとネガティブな人間だと思っていたんですけど。そういうふうに言われるとそうなのかもしれませんね。

石川 ネガティブってどういう意味?

佐藤 ずっと自分に自信がもてなくて。石川さんが言ってくれたことは、ぼくのこと楽観的な人だと思ってくれているみたいで、ああそうなのかな、と。自分でも発見がありました。

石川 楽観的というよりも、いい意味で、柔軟なんだな〜と思ったんだな。

「でも、『バーベキューにまで行って、なんで人と話さないのかよ!』て思うんですよ」

佐藤くんはいま自分のやっている仕事に肯定感がある。けれども、仕事の疑問、通販の売り方に疑問ももっている。その疑問点を率直に話してくれた。話題はそこからSNSのうすっぺらさにも広がっていく。

石川 いまちょっと言ってくれたんだけど、自信をもてないというのはどういうこと?

佐藤 自分がサッカー部でキャプテンやっていたとき、オレよりうまい推薦で来たヤツもいっぱいいたんです。キャプテンなので、いろいろ言わなくちゃならないじゃないですか。「ちゃんとやれ!」みたいに。でも、ぼくのプレーのレベルが彼らのレベルに達していなくて、「オレ、レベル低いな、こんなこと言える立場なのかな」と。そこからあんまり自分に自信がもてなくなって。でも、就活のときは「自分はこうだ!」と自信をもって言わなくてはならないじゃないですか。

沢辺 オレはそうは思わないけど、まあ、まあ、続けて。

佐藤 ぼくはそういうふうに思っていて、そこから、積極的に発言する、自分の意見を言おう、と意識してきたんですが、いまでも、自分がものを言うときには自信がもてないんです。

石川 自信をもたなきゃいけないと思ってるの?

佐藤 自信をもっている人はカッコいいじゃないですか? 正しいかどうかわからないですけど、「バーン!」と自信をもって「こうだ!」と言えるような人が。

石川 もちろんカッコいいとは思うんだけど、それでは、自信をもった態度だったら誰の言うことも信じてしまう怖さもあると思うんだけど?

佐藤 自信をもっていると説得力はついてくると思うんです。

石川 ぼくなんかは、人と信頼関係を築くためには、自信がないところも見せる、というのもけっこう説得力あるように思うんだけど。

佐藤 そうですよね。でも、それだけではなく、ここぞというときに、「ばっ!」と自信をもって言うことも大切だと思うんですよ。

石川 なるほどね。そういう局面の自信をもった振舞いというのも大切だと思うよ。では、たとえば、仕事をはじめて2ヶ月で、いま、考えてることは自信をもちたいということなのかな?

佐藤 それもずっと思ってることですけど、他にも疑問があるんです。企業に入ると利益を上げる人にならなきゃならないじゃないですか。でも、利益を上げるためならなんでもいいのか、といえば、そうではないと思うんですよ。
最近、twitterとかFacebookとか、SNSに力を入れなきゃいけないというのはあると思うんです。ビジネスでは必要になってくると思うんです。でも、twitterに依存したら危ないと思うんですよ。twitterって簡単に人とつながれるじゃないですか。情報をめぐらせるには便利だと思うんですけどね。ネット上の付き合いはこわいと思うんです。
自分の仕事で利益を上げるためにSNSと付き合っていかなきゃならないと考えると、ほんとにオレはこれでいいのかな、と考えることがあります。

石川 でも、仕事は仕事、と分けて考えてもいいと思うよ。大切な人間関係は直接会って話すとか。

佐藤 そういうふうに簡単に考えればいいんですけど、やっぱり気になるんです。たとえば、ぼくの会社でいま、持ち運べるテレビを売ってるんです。風呂とかでもどこでも見れるんです。それで、ドライブするときでも後ろで子供が見れる、とか、バーベキューやってるところでそこでみんながテレビを囲んでる、とかそんな売り方をしてるんです。でも、「バーベキューにまで行って、なんで人と話さないのかよ!」て思うんですよ。売り手としてはそういう見せ方をするじゃないですか。でも、そんな売り方でいいのか?と。車の中も、バーベキューだって、人と話せばいいじゃないか、と。そう思って、モヤモヤした気持ちがあるんです。

石川 いま自分がものを売っているやり方と、自分のよしとすることが違うというか?

佐藤 そうですね。うまく話せなくてすいません。

沢辺 twitterはうすっぺらいという印象があるのはわかるよ。でも、オレも必要があるから使う。義務感でやっているようなつぶやきもあるよ。自分の仕事として自分に課してるんだ。だから、仕事以外は、いっさい義務とかそういうものはないよ。あとは、続くならやればいいんだ。逆に続かなくっても後悔しない。Facebookもやってるよ。それが、どういう影響与えたり、どういう可能性があるのか、ものの本を読むんじゃなくて、やってみないとわからないから。でも、それで続かなくても失敗しても後悔しない。

「では、沢辺さんはSNSが広まることは賛成ですか?」

話題はSNSのうすっぺらさから、「問いの立て方」問題へ。

佐藤 では、沢辺さんはSNSが広まることは賛成ですか?

沢辺 それは問いの立て方がちょっとちがうと思うんだな。こっちは正しい、こっちに賛成だ、って事前に理想や正しさを置いて、それに向かって自分や社会を動かそうとするのはダメなんじゃないかな。どんな頭のいい人もしょせん人間なんだ。どんな素晴らしい理想を置いたって、どうしても無理があるんだ。原発の問題だってそうだよ。やるのかやめるのか、そういう議論あるんだけど、もうあんなことが起こったら、誰が「うちの近所に原発建てていいですよ」って言える? たとえば、いくら原発を使うことが正しいと科学的に証明する人がいたって無理なんだ。賛成しようが反対しようが広まることは広まる。廃れることは廃れるんだ。
だから、SNSが広まることには賛成ですか?という問いだって、オレが賛成しようが反対しようが、広まるものは広まるんだよ。もし、SNSで大事故が起こったら、誰がそれを正しいと言ったって、みんな離れると思うよ。やっぱり、SNSが広まったのは、それを受け入れた人が社会に一定いるんだよ。自分がつぶやいたことにだれかが反応してくれる、という承認もあって。でも、いまオレはそれに飽きてるんだ。そう思うと、twitterでの承認って、ほんとうの意味での他者からの承認とはちがうんじゃないかな、と思うんだ。

石川 それも、一人の人間のふれ幅だと思うんですよね。twitterのコミュニケーションに飽きちゃったら対面のコミュニケーションを重視したり、同じ人間が、対面よりもSNSの便利さを取る場合だってある。そういうことだと思うんです。どちらが正しいか、ということころで動いてないと思うんですよ。

沢辺 そうそう。それから、twitterが流行っているのは母数が多いというのもあるよね。オレが勝手に独自のサービス作ったって、誰もやってなければなんの意味もない。
それで、さっきの話しに戻るんだけど、オレはよく言うんだけど、勝間和代の言うように、「起こっていることはすべて正しい」と思うわけ。twitterや Facebookが流行っているけれど、それはそれとして受け入れるんだ。みんなが求めているものがそこにあるわけで。オレがそのことを正しいとか間違ってるとかは言えないよ。
ただし、オレがそれを実際に身体を動かしてやるかやらないか、ということはオレが権限をもってるんだ。誰にも指図されないでオレが決められる。そこは大切にすればいいと思うんだよ。そう考えると、「twitterをやってるオレはどうなんだろうか?」と考え込む必要はなくなるんだ。これは仕事としてまず一回やろう、続かなかったり失敗したらやめればいい。そう考えられるようになるんだ。「正しいからやるんだ、賛成するからやるんだ」じゃなくて、「オレだけの選択なんだ」と考えることで、飛びついてやってみてもそれに対する後悔はなくなる、という感じなんだ。だから、賛成ですか? 反対ですか?という問いの立て方そのものが、もう時代遅れだと思うんだよ。

佐藤 「問いの立て方」なんてすごく新しい考え方ですね。目からうろこです。こんな話ははじめて聞きました。

石川 その「目からうろこ」で思い出したんだけど、最初の「目からうろこ」で話してくれた承認についてもバランスの問題だと思うんだ。「認められることが大切だ」というのはわかった。それなら、ということで、たとえば、人間関係よくしようと思ってがんばることもあると思うんだ。でも、だんだん、ふれ幅がちょっとおかしくなって、「自分のまわりのヤツ全員に自分のことを認めさせてやろう!」となったら、ものすごく無理をしたり気をつかっちゃって自分をすり減らすことになるかも。一方で、承認は大切、というところからがんばっても、どうしても自分を認めてくれない人もいるわけで、「オレはこんだけがんばってるのに、あいつはぜんぜんオレのこと認めない、なんだ、アイツはダメなやつだ!」と逆に攻撃することもあるよね。だから、どんなにすばらしいことでもバランスは大切だと思うんだ。

佐藤 ぼくは、いままで、やったらやった分だけ受け入れられた、承認してもらえた、といったことが多かったと思うので、そこまでがんばった感覚はないかもしれません。

沢辺 人間は他者からの承認を求める生き物だということはわかるんだ。けれども、その裏返しで、「だから、承認を求めるために生きるのは正しいんだ」というのはもうすでにちがっていると思うのね。そこには無理がある。ある種のストーカーがそうだと思うよ。「○○ちゃん、惚れてくれよ!」って。それはひたすら無理な承認を求めていくわけだよ。

石川 あげくの果てには殺意になるとか?

佐藤 カニバリズムとかも?

沢辺 そうそう。ありうるよ。

「ぼくは、出版社の方って、本という物体に愛があると思ってたんですけど、そういう愛もありつつ、電子書籍を出すのも、どこか本質に向かってやってるんだな、って勝手に思いました」

話は「問いの立て方」問題から、新しいことはどういう場面で生まれるのか、そして、通販も含め商売の本質へと進んでいく。

沢辺 さっきの「起こっていることはすべて正しい」の話に戻るんだけど、たとえば、そんなことは起こらないと思うけど、もし仮に、バーベキューに行った子どもがみんなテレビ見てるなんて状況が起こったら、新聞とかに「いまの子どもは狂ってる!」なんて書かれると思うんだ。でも、それにはきっと理由があると思う。「起こっていることは正しい」。だから、それを「狂ってる! 正しくない!」と否定するんじゃなくて、いったんそれを受け入れることが大切だと思うんだ。そのうえで、どうしてこういうことが起こったんだろう?と考えることのほうがよっぽど大切だと思うよ。
それで、いまの現状をちゃんと考えれば、河原でバーベキューやってる連中がみんなテレビ見ていることなんて起こってない。だから、佐藤くんが自分の会社の演出のあり方をことさら問題にする必要はないと思うんだ。もちろん、「バカげている」ということはあるよ。移動式のテレビのメリットを説明するうえで、どうしてそれを「バーベキューでも使えます」って言う必要があるのか(笑)。そういう面はあるよ。

石川 作ってる側はどんな気持ちで作っているのかな? こんなバカげた例も入れちゃえ! とけっこう面白がって作ってるのかな?

佐藤 それはないと思います。

沢辺 そういうなにかを作り出している現場をよく見てみると面白いんだよ。これはさっきのドキュメンタリーの世界の話なんだけど、ドキュメンタリーでは、被写体との距離、取材対象との距離は永遠の課題じゃないかな。たとえば、相手に恋しちゃっていいのかよ、というのがそれ。けれど、原一男の『ゆきゆきて神軍』なんか、へんなおじさんが殴り込みみたいなことして人殴るのを、一緒に付いていって撮ってるわけ。一緒に犯罪を犯している画なんだよ。これだともう距離感がないわけ。こんなこと、くるくるパーじゃないとできないんだよ。でも、そういう人がなにか新しいものをつくりだしてきたのも事実だと思うんだ。
通販だってそうなんだ。通販が社会で受け入れられていること、これは起こっていることだから正しいことだよね。それを前提に、では、どこが受け入れられているのか? そこを考えるとすごく面白いと思うよ。オレのおふくろだって、蒸気で床がきれいになるやつとか買ってるわけよ(笑)。たまに実家に帰ると、かならず何かあるんだよ〜。オレの妹はそれを見てバカにするけど、ハマるのはなにか理由があるんじゃないかな? おふくろのパターンだけじゃなく、ラジオ通販だと目の見えない人にベンリだとか。だから、通販は他者から承認されているわけだよ。その理由を考えて、もっと多くの人の承認を得られるようにするにはどうしたらいいか。そこを考えるといいと思うよ。
ついつい通販というのは、儲け主義や「売らんかな」で、だましているように思われているイメージがある。でも、やっぱり、ジャパネットの高田さんなんかも、多くの人に受け入れられるなにかを持ってるんだ。

石川 だって、そんな簡単に儲け主義や「売らんかな」だけでうまく商売できる時代じゃないと思うんですよね。それはよく沢辺さんと話すことなんですけど。

沢辺 むかしの近江商人だって、バリバリ稼ごうなんて考えてなかったはずだよ。もちろん、自分の利益を度外視して考えていたわけではないと思うよ。でも、たとえば、「売って良し、買って良し、作って良し」なんて言葉があるように、「作り手も消費者も、みんなが潤わなくちゃだめなんだ」と考えていたと思うんだ。松下幸之助も稲盛さんも、ドラッカーもそうだと思うんだよ。まあ、それで彼らは大もうけしたんだろうけど(笑)。けど、「金さえ稼げればなんでもいい」なんて絶対考えてなかったと思うんだ。

佐藤 きょうはほんとに目からうろこで(笑)。沢辺さんって本質をずっと探してるんですね。ぼくは、出版社の方って、本という物体に愛があると思ってたんですけど、そういう愛もありつつ、電子書籍を出すのも、どこか本質に向かってやってるんだな、って勝手に思いました。考え方っていうのはほんとうに面白いですね。

沢辺 ありがとう(笑)。

石川 沢辺主義者になる必要はないけれど、きっと自分なりに活かせると思うんだ。

佐藤 そうですね。聞いたことを自分なりに活かそうと思います。

沢辺 けれど、偉そうなこと言うようだけど、共感しても実際に自分のものにするというのは大変だと思うんだ。だから、オレはアイデアを隠したりしないんだ。損しないから。どこにでも出て行って、たとえば、電子書籍の話なんかするけど、そこで、オレの話の一部をちょこっとつまんだって真似はできないんだ。だって、電子書籍のことなんか、オレ自身が迷ってやってるんだもん。だから、どっかから持ってきて付け焼刃、なんてうまくはいかないんだよ。一人ひとりが自分の頭で自分の言葉で考えて試行錯誤しなくちゃ解決しないんだよ。

「鵜呑みにしているように思われたかもしれないけれど、まあ、ほんとに新しいことだから素直に聞いたということですね(笑)」

石川は佐藤くんがちょくちょく言ってくれる「目からうろこ」発言が気になった。そんなにすんなり感動しちゃっていいのかな?と。そこから「素直さ」について話題は進んでいく。

石川 それで、ぼくが気になっていたのは、佐藤くんがよく言う「目からうろこ」ってなんか危ういんじゃないかな?ということなんだけど。これはひねくれた見方なのかな?

沢辺 自分の頭で考えるようになるのは、ある面では素直さは必要だと思うんだ。若いヤツと付き合うと、素直なヤツと素直でないヤツがいるんだけど、素直でないヤツは手こずるんだ〜。佐藤くんは素直さが武器だから、それを有効に使うといいと思うよ。

石川 そうか。佐藤くんって素直なんだね。

佐藤 いや、どうかわかりませんけど(笑)。

沢辺 いまオレが自分の頭で考えられてるかどうかはちょっと横に置いておいて、それでも、「オレだってある意味で素直だったな」と思えることがあるわけ。もちろん、オレも素直じゃなかったんだ。たとえば、中学の頃いたずらして立たされたことあるんだ。それで、オレのおやじ教師だったんで、担任の先生もそのこと知ってて、「お父さん先生なのに、なんでそんないたずらばかりしてるの!」って怒られたんだ。そしたら、オレは「じゃあ先生、泥棒の子どもは泥棒の子どもになんなきゃならないんですね」って言い返して、その女の先生泣かせちゃったもん。

石川 うわ、ひねくれたヤツだな〜、理屈言っちゃって(笑)。 

沢辺 だけど、オレ、一方で素直だったと思うんだ(笑)。二十歳の頃、左翼だったんで、「資本家は悪い!」って、ヘルメットかぶったりしながら言ってたわけ。だけど、いまでも覚えているんだよ。6、7歳年上のヤツに「沢辺さぁ、お前、資本家ってどこにいるの? 誰と誰だか名前教えてくれる?」って言われたわけ。それ、オレ答えられなかったんだよ。そんなプリミティブな質問を真正面からされて答えられなかったわけ。資本家の定義とか、誰が資本家とか、そんなリアリティのあることなんかそれまで一回も考えたことなかったわけ。大ショックでさあ。
それで、オレが自分のこと素直だな(笑)と思うのは、そこに以降のオレの思考の原点があるわけ。なにかをひと括りにして「悪い!」とするんじゃなくて、ちゃんと考えよう、と。なぜそれが悪いのかちゃんと答えよう、と。たとえば、オレの給料が悪いとしたら、じゃあ、いくらがいいのか? 会社をどういう状態にもっていったらいいのか? そういうふうに現実的な条件を考えることが大切だとオレは思ったわけよ。なんとなく「悪い!」じゃなくて。
だから、さっき佐藤くんが話してくれたCMの話にもつながるけど、そのCMをただただ「悪い」と言うだけじゃなくて、どうしてそういうCMをつくらなければならないのか?と考えたり、自分の企画が通らなかったら、ではそれを通すためにはどうしたらいいのか?と考て自分で自主的にCM撮ってみるとか、どうしたら認められるのか? 現実になにをしたらいいか? そういうことを具体的に考えるのが大切なんだ。

石川 自分が質問に答えられなかったことを認めたがらない人もいっぱいいますよね。沢辺さんは素直だな。

沢辺 でも、このこと10年ぐらい人に言えなかったんだよ。そのときは、ワナワナして、顔から火が出るくらいはずかしかったんだ。でも、「あの疑問に答えてやりたい!」と思ったんだ。これが考えるきっかけ。「これじゃヤバイ!」と。「ハリネズミみたいに言い訳つくって武装しててもどうにもならない」と。だから、素直というのは人の言うことを全部受け入れるというわけでもないし、佐藤くんの場合は素直さという道具を使って疑こととのバランスを上手に取ればいいと思うんだ。

石川 ぼくも気にしすぎたかな?

佐藤 鵜呑みにしているように思われたかもしれないけれど、まあ、ほんとに新しいことだから素直に聞いたということですね(笑)。

「そこまで自分の考えを大っぴらに話したりはしないですね。目上の人と話すことはありますけど、こんなふうにじっくり話すことはないんで」

佐藤くんはちゃんと話をしたい人。けれど、現実にはそういう場はなかなかないようだ。佐藤くんのコミュニケーションのあり方を聞いてみた。そこから話題は、現代の不幸、「できそうで、できない」へ。

石川 だから、佐藤くんの「目からうろこ」って「新鮮だ」ってことなんだね?

佐藤 そうですね。そこまで自分の考えを大っぴらに話したりはしないですね。目上の人と話すことはありますけど、こんなふうにじっくり話すことはないんで。それに、まわりにいる人も出版社の社長さんとか哲学者の人なんていなかったので、こんなことはあんまりないな、と思って聞いていたわけです(笑)。

沢辺 オレは、いまは目上の人が臆病になっている時代だと思うんだ。若いヤツに本気で語ったら嫌がるんじゃないか、そういうムードになっている気がしているわけ。もし、佐藤くんが目上の人とじっくり語りたいという思いがあるのだとしたら、「そういう話してもいいんですよ」と伝えてあげるのも一手だと思うよ。

石川 ぼくも自分の本で以前書いたことあるんだけど、なんかじっくり話そうと思っても「ひとそれぞれ」で終わってしまう、せっかく自分が真剣に話そうと思ってもうまくいかない、ということがあると思うんだ。そうなると、「自分がうまく話せた人たちは深い、うまく話せなかった人は浅い」という区別が生まれることもある。でも、それはもったいないと思うんだ。自分が浅いと思った人たちをとりこぼしてしまっているから。もちろん、その浅い人たち自身の責任もあるかもしれないけれど、こちら側で、「この言い方だとみんな引いちゃうな、だから、もうちょっと話し方変えようかな」、「話題をこういうふうにもっていければいいかもしれない」と工夫できると思うんだ。すると、もっといろんな人たちと話すことができるんじゃないかな?

佐藤 あ〜、そういうことはよく考えますね。

石川 無関心なように見えて、けっこう話をしたい人もいっぱいいると思うんだ。これだけコミュニケーションツールが多くても、なかなかうまくいかないと感じている人も多いと思うんだ。

沢辺 たぶん、昔から上手くは伝えられなかったんだと思うんだ。でも、現代の場合は、「一見伝えられそうな世の中になっても伝えられない」ということだと思う。昔は子どもが親と同じ音楽聴いてるなんてありえなかったんだ。たとえば、ビートルズだってそうだったんだよ。でも、いまは子どもが親と同じ音楽を聴くことがある。うちの子供もオレが若い頃聴いてた曲、聴いてることあるもん。だから、一見、お互い通じているように思える。でも、実際は伝わらないことが多いんだよ。
だから、現代の不幸は、たんに「できない」じゃなくて、「できそうで、できない」ということだと思うんだ。就職の例で言えば、昔なんか、百姓の子に生まれたら百姓だよ。それ以外の可能性なんか想像さえできない。今の人間が宇宙旅行を想像できないのと一緒だよ。でも、宇宙旅行だって、あと何年先かわからないけれど、それも海外旅行に行くような感じになるかもしれない。つまり、人間は可能だと思える範囲でやりたいことを見つけているだけだよ。そういうものに希望をもつんだよ。で、いまは、百姓の子は百姓、ではなくて、多くの人が自分のなりたい者になれる選択肢は開かれた。そういう希望はある。
でも、可能性はあるけれど、現実はそうじゃないんだ。「できそうで、できない」。佐藤くんだって、就職活動でキー局受けて落ちて、テレビ業界のはじっこで引っかかっただけだよね。でも、みんなそんなもんなんだよ。ものすごく強く、「なにがなんでもキー局!」、「ヒモになっても芝居やってやる!」みたいな気持ちでそうなったんじゃなくて、なんとなく選択肢があって、そのなかで選んだ結果だと思うんだ。一見、就活うまくいったヤツも、みんなそんなもんだったと思うんだ。
だから、大切なことは、「その事実を受け入れたうえで、そこでなにをつかむか」だと思うんだ。どんな現場にもやってみれば面白いネタは転がってるわけだよ。有能なヤツというのはそこでなにかをつかめたヤツなんだ。たとえば、いまから40年ぐらい前は、出版業界は新聞に行けなかったヤツがしょうがなく入るような業界だったんだ。「新聞やりたかったけど雑誌をやる」とか。でも、ちゃんとしている人はどんな場所にいてもその場所で耕すんだ。それで、有能な週刊誌編集長、たとえば、よくテレビに出てくる鳥越さんなんか、「新聞記者やりたかったけど雑誌かよ」と思ったって言ってた。けど、そう思いつつも、ずっと自分の現場をしっかり耕してきたんだ。

「『これになりてぇからそれに向かっていく』というよりも、自分のいま置かれている状況で目標をみつけてなにかを残す、というのがやっぱ働くというか人の人生だと思います」

仕事の話へ。誰でも偶然に仕事に放り込まれる。その中で人はなにをしていくか。佐藤くんは自分の考えを伝えてくれた。話題は、面倒を見てもらえる人間になること、武装しているとなかなか受け入れられない点、そして再び素直さへと進んでいく。

佐藤 沢辺さんのおっしゃっている感覚よくわかります。ぼくも就活やりはじめてちょっとたってから、そういう感じになったんですね。「やりてぇからこれをやる」じゃなくて、自分が入ったところで目標をつぶしていって、最終的にそれになっている。そういう人生なんじゃないかと思うようになったんです。うちの親父は、じいちゃんが司法書士だったんで、最初はその手伝いをしてたんです。そのあと親父は先生になったんですけど、先生に最初からなりたかったわけではないんです。でも、いま話を聞くと、「大変で苦しいけど楽しい」って言ってるんです。だから、「これになりてぇからそれに向かっていく」というよりも、自分のいま置かれている状況で目標をみつけてなにかを残す、というのが人の人生だと思います。

沢辺 お父さんも偶然だと思うよ。偶然小学校という現場に行って、そこで運動音痴な子を逆上がりできるようにしてやって承認を得る場合もあるし、「いいんだよ別に仕事だから」って生徒たちとかかわりなく仕事をやる人もいる。どんなところにもみんな偶然行くんだよ。でも、そこのなかで、「運動のできない子を逆上がりができるようにする」といったなにかを見つけられるか、そこが重要だと思うんだ。かりに転職したとしてもそれは絶対に付いてくるよ。だから、どこに行っても、「しょうがない」ということはないんだ。

石川 ぼくも、偶然そういう仕事になったんだけど、大学で文章の先生をやることが多いんだ。でも、やっててよかったと思うよ。「哲学やりたいけど文章指導かよ」って思うこともある。文章の相談も添削も学生一人ひとりに対してやるわけだから大変。でも、文章を通じて密に学生と付き合うのはやっぱ面白いよ。そう付き合うことで、いまの若い人の感じも伝わってくる。そうして取り入れた感覚が、哲学も含めて自分の仕事全体にいい意味で反映されると思うんだ。戻ってくるものあるんだよな。

佐藤 専門的にそれだけをやる楽しみもあると思いますが、それだけでない楽しみもいっぱいあって、そういうとこで目標を達成していけば結果的に自分は満足した仕事をやっていけるんだと思います。それから、仕事をはじめていま2ヶ月なんですけど、やっぱり人間関係なんじゃないかと思います。仕事できる・できないはもちろん大切ですけど、「やっぱ入って人に面倒見てもらえることが第一なのかな」みたいな、そう思ったりすることもあります。

石川 やっぱ、「こいつ面倒みたい・みたくない」はあるなあ。学生もそうだけど。笑顔とかひとつでちがうもの。

沢辺 むちゃくちゃあるよ。ただ、明らかにそれをめがけてるヤツはやなんだ。けっこう見えちゃうんだよ。わかる。ウソ通用しないよね。

佐藤 エントリーシートの段階では、なんとかひっかかろうと思って、作っていた自分もありました。最終の役員面接では就職活動のテクニックとか全部なしにして、素で受けたら、この会社に通ったんですね。やっぱ武装してもダメなものはダメなんですね。

沢辺 それと素直さがやっぱ大切かな。

石川 どうして素直な人と素直でない人がいるんでしょうね?

沢辺 オレは生育歴の影響はあるような気がする。親にどう育てられたか。親がお金持ちかお金持ちじゃないか、とかそういう単純なものじゃなくて、周りへの武装なんだよ。でも、武装イコール悪というわけではなくて、武装が強すぎるとダメなんだよ。誰だって武装する。極端に言えば服を着るのだってそうだよ。だけど、大切なのは武装とうまく折り合えるってことなんじゃないかな。武装がバリバリ全面に出ちゃうとすごく困難だと思うな。

石川 もちろんその通りで、こちらも武装が全面に出ちゃってる人とはつきあいにくいですね。中学校の沢辺さんみたいに理屈ばかり言ったり、大人になってもいつもハスに構えちゃったり、かっこいいことばかり言って自分を飾ってばかりだったり、ぼくもそうだったんだけど、頭がもう難しい言葉でいっぱいになってるヤツだったりすると、こっちは疲れちゃいます。でも、大概はうまくいかないことが多いけど、それでも、たとえば、仕事の現場や文章や哲学の教室でもいいけど、なにかを通してそんな武装したヤツと付き合わざるをえなくなって、そのなかでやりとりしているうちに、カチンコチンの人間が武装解除する瞬間は確かにある。それはそれで感動的なんだよな。

沢辺 それ、わかるよ。

石川 けれど、考えてみると、やっぱり、武装解除できる人っていうのは、どこかにかならず、一抹の素直さがある人ってことなんだな、と改めて思いますね。

佐藤 ぼくはなかなか武装した人に接したことがないですけど、きっとそういう武装解除の場面に出会ったら感動すると思います。

石川 まあ、あまり武装している人には出会わないほうがいいとは思うけど(笑)。今日はほんとに長い時間ありがとう。

佐藤 ほんと、そろそろビールが飲みたい感じです(笑)。

◎石川メモ

大人が三人で語っている

 ぼくは最初、佐藤くんの「目からうろこ」をどこか危ういと思っていた。けれど、よく考えれば、それこそ佐藤くんの言うとおり、自分の考えをおおっぴらに話したりする機会はなかなかないだろうし、ぼくと沢辺さんのやりとりのようなものも珍しかったのかもしれない。そう考えると、佐藤くんにとって今回のインタヴューは、やはり、「目からうろこ」の新鮮なものだったのだと思う。
 ところで、これは当たり前のことかもしれないけれど、ぼくは仕事上で問題や困ったことが起こると、アポをとって、なるべく直接相手と会って話すようにしている。メールではどうしても無理だ。文章と文章とでやりとりすると相当複雑なことになる。直接会えば、一つ一つの言葉にそのつど反応できるし、それに、お互いの表情とその場の空気が伝わる。
 でも、ほんとのところ、やっかいなことがらもメールのやりとりだけで済ませられないかな、と思う自分もいる。そう思って、実際にメールでやりとりしたこともあった。けれど、ぜんぜんうまくいかず、二度手間、三度手間、何度もやりとりすることになってしまった。最終的には、「この件、メールで話すのやめましょう、直接お話しましょう」となった。
 直接会って話すことの意味は十分にある。「真剣にやりとりするなら、やっぱり対面」とぼくは思う。今回のインタヴューでは、佐藤くんも含めて、大人三人で、「問いの立て方」や「素直さ」など、対面でまじめに話した。ぼくも改めて思ったけれど、相手と実際に会ってちゃんと話をするのは、すごく大切だしとても面白い。それが佐藤くんの感じた「目からうろこ」、「新鮮さ」の中身なんじゃないだろうか。

偶然と折り合うことの難しさ

 佐藤くんは、いいかたちで偶然と折り合うことができているように感じた。偶然というのは「たまたまそうなった」ということだけれど、佐藤くんのいま働いている現場だってそうだ。というより、だれもみんなそういう偶然を生きているはず。
 どうやって人は偶然を受け入れるようになれるのか? ぼくはいつも気になっている。わたしたちはいろんな意味で、たまたまそうなってしまう。あの親から生まれ、あそこで育ったこともそうだ。ここでこうして働いていることもそうだ。良くないことで言えば、災害や病気というのもそう言える。もちろん、イケメンだったりとか、いいことについてだってそう言える。
 で、ぼくが気になるのは、とくに良くないことについて、人間は偶然を受け入れられるのか?ということだ。自分の責任や落ち度となんの関係もなく、わたしたちは苦しいことを「こうむる」。昔は、「それは神様が与えてくれた試練ですよ、いま苦しいことは天国に行くためですよ」という説明で救われたかもしれない。けれど、今はそんなふうにはなかなか信じられない。どうしたらいいのだろう。
 印象に残っていることは、佐藤くんが、いまの会社でよい先輩に会えたりして、仕事に面白いことがあると思っている点だ。ぼくは、「えぃ!」と覚悟を決めるだけで、納得いかない偶然を受け入れるのはすごく難しいことだと思っている。そんな苦しい現実のなかに、ほんのちょっとでもなにか面白いことが自分を誘っていると感じられることが、偶然を受け入れるコツだと思う。
 でもこれは、逆に言えば、自分を誘うものを目の前の世界に見つけられなければ、現実は受け入れられない、ということだ。そうなったとき、いまのところぼくは、目の前には面白いものがなくても、一度でもいいから、世界に誘われた経験があるかどうか思い出してみるのが大切だと思っている。
 たとえば、佐藤くんは、お父さんと山に行ったり、部活で全国大会に行ったり、ニュージーランドでの恋愛などなど、いままでの楽しい経験をけっこう大切にしている。そして、たぶん、いままでそうだったんだから、なにか自分を誘うような面白いものは世界にかならずあるはず、と考えている。それが、佐藤くんの素直さの中身で、だから、仕事での面白さを呼び込んでいるのではないだろうか。
 うれしかった思い出を大切にする、と言うとなにか素朴できれいすぎる表現だけれど、でも、それは、「いま目の前にはないけれど、またうれしいことがきっとあるはず」と世界と上手くつきあうためのコツになってるんじゃないだろうか。
 けれども、偶然にこんなふうに苦しくなってしまった自分や世界をどうしたら受け入れられるか? そのことについてはこれからもじっくり考えてみたいと思っている。